商店会の歴史
昭和4年玉川大学開校、小田急線に駅が作られて玉川学園という街が誕生しました。
当時は駅付近に数件の商店しかありませんでしたが、住宅地が開発されるにつれ徐々に店舗が増えていきました。
商店会が作られたのは、戦後の昭和24年。63年の歴史になります。当時はまだ寄り合いの会合として地域の方々と共同し、盆踊りや綱引きの行事を行っていましたが、昭和54年から商店会主催での夏まつりが催され、実質的な組織としての活動が始まったとされています。
当時の駅前通りは砂利道だったため、ひとたび雨が降れば川のように水が流れる湿地帯だったようです。そのため通勤者は、傘や長靴を駅に置いて電車を利用したとのことです。
次第に人口が増すにつれて商店数も増加、高度成長期で景気の良い時代が続く中、商店街中央通りには下水管敷設に伴う道路拡幅計画が施行されました。拡幅道路が完成し電線地下埋、両側歩道、街路樹などでスッキリした街並みになりました。工事が始まった頃には、南口商店会が発足し、玉川学園は道路を挟んで二つの商店会になり現在に至っています。
一方、昭和60年頃には高度成長期も終わり、大店法改正、長年の道路工事等が重なって商店経営は苦境に立たされます。離れたお客を取り戻すなど活性化のため、商店会では組織を充実させながら、次々とイベントを開催してきました。※1
イベントは南口との協働も進みそれなりの成果はありますが一過性の面が強く、平成23年度からは地域有志の方、団体のご協力を得て商店街が元気にならなければ街も元気にならないと街づくり「アートで彩る街 玉川学園」名の楽しめる商店街を創出していきながら日常の活性化を計っているところです。
※1)機関紙「ひとつめ小町」の発行、売り出しでは「土曜市」「いきいきレシート」など。その他恒例の「夏まつり「まちかどアートギャラリー」「雛めぐり」「クリスマスイルミネーション」など。
会長挨拶
今、グローバル化したネット社会の中、当会も情報発信型のサービス事業を目指し、多様な消費者ニーズに応えるべく本格的なホームページを作る運びとなりました。
商店街は多くの人が通り、多くの人が集まる場所に立地しているため、広域あるいは地域の消費者、生産者と密接に繋がった活動を行っている組織である事が利点であります。
このため、より多くの人に対して有効かつ効果的な情報発信が必要になります。
各個店の情報や宣伝はもちろんの事、商店会活動の情報等も発信していきます。
このように商店会のネット発信は、主催する商店会に十分な成果が期待され、一方で事業者にとってもマーケットを広げ、事業規模の拡大の可能性が出てきます。
ネット事業は、企画の内容や運用方法によっては、魅力作りや元気作りのための特効薬になるかもしれません。
野田 行康